時を紡ぐ歴史と文化

ココロ旅。
悠久の歴史と、脈々と受け継がれるいわきの歴史と伝統文化に触れる。
数多くの遺跡が残るいわき市は、狩猟や漁業など採集生活を営みながら、温暖な気候と豊かな自然に支えられ、文化を築いていました。11世紀の中ごろから岩城氏が統治し、江戸時代に入ると、磐城平藩を中心に、湯長谷藩、泉藩、幕領として治められます。昭和41年10月1日に5市4町5村が合併し、「いわき市」が誕生しました。
中田横穴
古墳時代の彩色画を有する装飾横穴墓で、昭和44年(1969)1月に県道小名浜四倉線の工事中に発見されました。6世紀末に造られたものと考えられており、奥の部屋の周囲の壁には赤と白の顔料により三角文様が三段にわたって描かれています。
甲塚古墳
夏井川河口に近い沖積地に築造された、直径37メートル、高さ約8.2メートルの古墳です。発掘調査が実施されておらず、主体部の構造は不明ですが、古墳時代後期のものとされ、冑を伏せたのに似てることから甲塚と呼ばれています。
国宝 願成寺白水阿弥陀堂
福島県では建造物として唯一国宝に指定された、平安時代後期の代表的な阿弥陀堂建築。美しい曲線を描く屋根と浄土式庭園が調和した、優美な姿を見せてくれます。堂内には阿弥陀三尊、持国・多聞天像が安置されております。
上遠野城跡(八潮見城)
戦国大名の岩城氏の有力家臣であった上遠野氏の居城であり、大永年間に築城されたであろうとされています。標高約1,200メートルの山城部には土塁や石垣・曲輪・門跡が残っており、遺構を1周約80分程度で巡ることができます。
飯野平城跡(大館城跡)
岩城常隆が文明15(1483)年に飯野村に飯野平城を築き、いわきの政治・経済の中心地とし、戦国大名としての地盤をつくりました。関ヶ原合戦後、岩城家は徳川家康の命により除封となり、鳥居忠政が入封したのち廃城となりました。
磐城平城本丸跡地
慶長7年(1602)に鳥居忠政が築城を始め、慶長19年(1614)に完成した磐城平城。天守閣は作られず、高さ四丈三尺の三階櫓がその役割を果たします。別名「龍ケ城」とも呼ばれており、旧仮藩庁や石垣、白蛇堀などが現存しています。
湯長谷藩館跡
1万五千石ほどの小藩で、寛文10年(1670)に磐城平藩の支藩として立藩。映画『超高速!参勤交代』では、四代藩主・内藤政醇公が主人公として描かれました。磐崎中学校の敷地内に、湯長谷藩館址建碑協賛会によって石碑が建立されております。
泉城跡
内藤忠興が弟・内藤政晴に2万石を分与したことに始まり、寛永11年(1634)に立藩、明治まで内藤・板倉・本多家が藩を治めました。泉公民館敷地内には城址跡碑と本多忠籌の功績をたたえる赤玉本多の碑が並んでおります。
勿来八景
江戸時代の俳人・内藤露沾は、勿来の景勝地八ヶ所「大高朝霞・関田晩鐘・湯嶽晴雪・大崎夜雨・平潟帰帆・佐糠落雁・小濱夕照・中田秋月」を詠みました。平成21年に市勿来関文学歴史館敷地内に全八句の石碑と各所に句碑が建立されています。
小名浜八景碑
江戸時代の俳人・内藤露沾は、小名浜の景勝地八ヶ所「諏訪の晴嵐、綱取の秋月、岬の帰帆、虎山の晩鐘、岡山暮雪、大原落雁、松之中夜雨、照島の夕照」を詠みました。平成8年に虎山の晩鐘の地・浄光院に八景碑が建立されました。
勿来切通し
浜街道神岡宿から北へ最短距離に結ぶ経路として、承応元年(1652)福田の酒造家酒井平左衛門によって切り通されました。旧道の峠道として一部現存しており、磐城平藩の参勤交代にも使用されていたと伝わっています。
小川江筋
磐城平藩の郡奉行である沢村勘兵衛勝為が起工し、寛文5年(1665)に完成した水路。小川町関場にある夏井川取水口から四倉町に至るまでの約30キロメートルにおよび、約1200haの水田を潤しました。水道水としても使用されてます。
愛谷江筋
夏井川を水源とする農業用水路で、江戸時代に磐城平藩主内藤公の命により三森治右衛門が開削しました。平成14年に愛谷江筋愛護会が中心となり、水路沿いをアジサイで彩ろうと植栽が行われ、近年ではアジサイが咲き誇るようになりました。
石炭発見の地
いわきの石炭産業の父といわれる片寄平蔵は、安政3年(1856)に内郷白水村の弥勒沢で石炭を発見。翌年より湯長谷藩の許可を得て開坑しました。その後、常磐炭田は本州でも最大規模に繁栄しました。現在でも露頭した石炭を見ることができます。
天田愚庵の庵
嘉永7(1854)年に磐城平藩士の子として生まれ、明治時代中期に活躍した歌人・天田愚庵の庵です。昭和41(1966)年、伏見桃山にあった庵を松ヶ岡公園内に移築復元。平成31(2019)年に国の有形文化財に登録されました。
塩屋埼灯台
「とよまの灯台」と呼ばれ、いわきのシンボルとして親しまれている塩屋埼灯台。120年の歴史を持ち、灯台の白と太平洋の海の青さとのコントラストが詩情を誘う景勝地として、全国各地から観光客が訪れる市内有数の観光地です。
金刀比羅神社
日本三大金毘羅宮のひとつでもあり、海上安全の神様として知られております。海に大きく面するいわき市、市民から厚い信仰をうけており「こんぴらさま」 と呼びして親しまれています。毎年1月10日に行われる例大祭では、参拝客で終日賑わいます。
つるし雛飾りまつり
車や人通りの少なくなってしまった中之作川岸地区の賑わいを取り戻そうと、平成16年より毎年開催されています。お裁縫教室「ままや」さんが無病息災、家内安全、商売繁盛など願いを込めて作り、清航館をメイン会場に飾られます。
みろく沢炭鉱資料館
測量や発破の用具、採炭・運搬・選炭・照明・安全用具など、石炭採掘の始まった江戸時代末期から、炭鉱が閉山された昭和時代まで、市内の炭鉱で用いられた多様な用具類を展示しています。平成18年(2006)に市の有形民俗文化財に指定されました。
いわきヘリテージ・ツーリズム
いわき市内に残るずり山や建物など、石炭産業の遺物を「遺産」として今後も大切に保持し、そして炭鉱に関わった人々の話を記録し、後世に伝え残していくための活動を行っています。歴史的意義を探求するロマンあふれるツアーをご案内します。
延喜式とは、延長5年(927年)にまとめられ、康保4年(967)に施行された全50巻からなる平安時代の法令集です。9、10巻は当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧で、「延喜式神名帳」と言われます。
いわきの式内社は七社あり、大國魂神社、二俣神社、温泉神社、鹿島神社、佐麻久嶺神社、住吉神社、子鍬倉神社があげられていました。うち三社は中世の間に廃絶しましたが、磐城平藩主・内藤義概の調査で現在の場所に定められました。
大國魂神社
主祭神は大国主命こと大己貴神。創建年は未詳ですが、周辺に甲塚古墳や推定樹齢1,000年の大杉があることから、歴史の古さがうかがえます。同社に伝わる「国魂文書」は中世磐城の様子を知ることができる一級史料であり、県の重要文化財に指定されております。
二俣神社
中世の間に廃絶したため、磐城平藩主・内藤義概が調査の際に、下小川村を流れる夏井川あたりにある二又八幡宮を「其辺りの河水二又に分かれて長るるを以て二俣の神號は起こりしならん」という理由で、二俣神社の遺跡と同定しています。
温泉神社
湯ノ岳を神体山としており、社伝によると上古は湯ノ岳山頂に鎮座し、中世には観音山、江戸時代の明和5年(1768)に現在地へ遷宮しました。祭神は大己貴命、少彦名命。社殿奥の山中にむすび磐境があり、神体山である湯ノ岳山麗産の石で磐境が築かれています。
鹿島神社
鹿島神宮の分社で祭神は武甕槌大神。日本神話の「国譲り」に登場する神で、磐城でも古代より信仰され、「日本三代実録」によると菊多郡に一社、磐城郡に十一社の分社が認められます。本社はそのなかから「只其一社のみ」磐城七社に加えられています。
佐麻久嶺神社
祭神は五十猛命。別の名を大屋毘古命と云い「事始めの神」として信仰されています。天和2年(1682)3月、雷火にあって焼失したので磐城平藩主内藤義概が翌年8月に再建し、現在にいたります。境内には、市内最古と言われる大杉やケヤキ・ヒノキなどの御神木があります。
住吉神社
全国住吉神社七社の一社に数えられ、海上交通の神として信仰されています。建築様式は三間社流造り折衷様式で、昭和33年(1958)に県の重要文化財に指定されました。10月には勅使参向式と流鏑馬がおこなわれており、平成16年(2004)に市指定無形文化財となっております。
子鍬倉神社
中世の間に廃絶したため、磐城平藩主・内藤義概が調査の際に、桜町に「稲荷の小社残れり、往歳其辺りより勾玉を出せることあらば古蹟たること疑ひなし」と同定し、復興に際して現在の揚土に社殿を造営しています。倉稲魂命を御祭神とし、社名は「衣食住」を表現しています。
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延喜式内磐城七社を巡る 御朱印の旅

格式高い延喜式内七社を巡り、御朱印を頂きましょう。 みなさまにご利益がありますように。

数多くの伝統芸能が息づくいわき市。
国の重要無形文化財に指定されている芸能など、地域の方々によって守り伝えられています。
じゃんがら念仏踊
新盆の家庭をまわるいわきの夏の風物詩。平成4年(1992)に、いわき市の無形民俗文化財に指定されました。三人の太鼓を中心に、十人前後の鉦を打つものが周りを囲み、後ずさりに回りながらダイナミックなリズムに合わせて踊ります。
いわきの獅子舞
戦国時代末期から江戸時代にかけて伝わったとされ、一人ずつ鹿の獅子頭を被り、腰に羯鼓という小太鼓をつけ打ちながら、三頭が一組になって舞います。花吸い、弓くぐり、雌獅子取りと呼ばれる演目が一般的で、演目の合間には棒術が行われます。
御宝殿の稚児田楽・風流
神事と民俗芸能が一つとなり、現代まで守り続けられている祭礼で、昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。豊作を占う鉾立の神事、豊作祈願の稚児田楽「ざらっこ」、豊年感謝の風流「鷺舞・鹿舞・龍舞・獅子舞」が奉納されます。
大和舞
出雲流神楽の流れをくみ、記紀に伝わる神話をはやし方の音に合わせて踊ります。演目には三番叟、三本剣、猿田彦の舞、恵比寿舞、大黒舞、天之岩戸の舞、天宇豆女があり、ひとつの舞が終わるごとに縁起物の白扇や紅白餅がまかれます。
山外舞
大國魂神社の大和舞を伝承したのが始まりと伝えられています。大黒舞や稲荷舞が演じられ、最後のひょっとこ舞では演者総出で踊り、山外舞と書かれた扇子や紅白の餅を参拝者に蒔きます。扇子は縁起がよく、拾うと魔除けにもなると言われています。
赤井嶽常福寺 夏大祭 柴燈大護摩
修験道のひとつで、柴と薪で護摩をたき、入峯した行者を悩ます毒蛇を退治するために用いられたと伝えられています。「火渡り」では、山伏を先頭に始まり、参拝客が無病息災や家内安全を祈願し、合掌しながら火の道を踏みしめます。
飯野八幡宮の流鏑馬と献饌
流鏑馬では騎士が馬場空駆け・生姜撒き・扇子撒き・的矢の順で4度馬を走らせ、古式大祭では神輿渡御の後、八十八膳が本殿、境内の摂社、末社を巡って献饌が行われます。昭和58年(1983)に県の重要無形民俗文化財に指定されました。
滝尻棒ささら
泉諏訪八幡神社や泉地区一帯で背負投や素鎌、十本続などの棒術12演目を奉納。また、三匹獅子舞では田植えの舞、花吸い、黄金の舞を舞います。戦国時代の剣聖・塚原ト伝の流れを伝授されていると伝わっており、例年敬老の日の前日に行われています。
沼ノ内の水祝儀
別名「水かけ祭り」とも呼ばれており、社殿前のしめ縄の中で浴衣一枚となった初婿へ、桶取りが3度水をかけ、無病息災・豊漁と安全・豊作を祈ります。成人の日に実施されており、平成15年(2003)にいわき市の無形民俗文化財に指定されました。