駅からぶらりハイキング【泉駅出発】
JR泉駅出発 ぶらり歴史散歩
JR泉駅から歩いて、かつて泉町にあった泉藩の歴史を探ります。
泉藩の成り立ちから、藩主の移り変わり、泉城下町の変遷など、
街並みをゆったりあるきながら面影を見つけてのんびり散策ください。
現在の姿から過去を想像すると、歴史の奥深さに惹きこまれますよ!
駅から歩いて約2時間のハイキングへ
いってらっしゃいませ!
全行程:約5km/徒歩約2時間コース
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徒歩約1分(約50m)
1

泉藩城下町の碑

寛永11(1634)年 泉藩の成立
  • 泉藩城下町の碑
寛永11(1634)年、磐城平城藩主内藤忠興より、弟・内藤政晴が2万石を譲り受け泉藩が成立。
寛文8(1668)年、政晴の子・政親が泉陣屋や城下町の建設を始める。
政親の跡を継いだ政森は、元禄15(1702)年、上野国安中藩主板倉重同と領地替え命ぜらる。
重同の子・勝清が継いだが、延享3(1746)年に遠江国相良藩へ転封となり、代わって同藩の本多忠如が泉藩へ入封。
宝暦4(1754)年、忠如から相続した忠籌が財政再建など藩政改革を行う。忠壽はのちに寛政の改革に参画している。
慶応2(1868)年に戊辰戦争が起こり、奥羽越列藩同盟に加盟し官軍に抵抗したが、新政府軍の攻撃を受け泉藩は陥落。
7代忠伸は明治2(1869)年の版籍奉還で泉藩知事となり、明治4(1871)年の廃藩置県により藩知事を任免され、泉藩は終焉を迎えた。
徒歩約6分(約450m)
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泉城跡

石碑には城跡の変遷が綴られています
  • 泉城跡
延享3(1746)年遠江国相良藩より入封した本多忠如が、1万5千石を領有して泉藩を支配する。
藩主本多氏の2代目忠籌が若年寄、のちに老中格として幕政に参画していた時、江戸城登城の際、持ち槍の素槍の穂先に飾った赤玉と泉城阯の碑が建てられている。
徒歩約5分(約300m)
3

泉神社

泉藩 藩主 本多忠壽が祭神
  • 泉神社
泉藩 藩主 本多忠壽を祭神として、文化元(1804)年、泉藩領荷路夫(現田人町)に生祠として建立されたものを、明治12年、現在地に社殿を移した。
御神体として本多忠壽の木像が祀られている。
徒歩約5分(約400m)
4

北野神社

通称 天神様
  • 北野神社
菅原道真を祀り、現在の泉町1丁目に宝永3(1706)年、泉藩主板倉重同が勧請。
その時の棟札が現存している。
徒歩約2分(約200m)
5

泉藩城下町

現在も旧屋号の残る街
  • 泉藩城下町
北野神社と八幡神社まで続く、幅9m長さ800mの一直線の道路は、300余年前に泉城と共に建設された泉藩城下町の姿を残す。
この界隈では、今もなお、叶屋、鉄砲屋、油屋、紺屋、扇屋、佐源司、市之屋、奈良屋などの旧屋号の家が残っている。
徒歩約3分(約150m)
6

泉城門

威風堂々たる裏門
  • 泉城門
廃藩により泉館が解体の際、泉城の門が払い下げ受けとなり、現在の主家に移築された。
威風堂々たる裏門を所有する宅の屋号は磐城屋と呼ばれる。
※個人宅のため、マナーを守って観覧ください。
徒歩約5分(約300m)
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泉諏訪神社

泉藩主歴代の氏神として尊崇される
  • 泉諏訪神社
祭神は健御名方命・誉田別命。現本殿は本多忠親の造営。
大同年間(806)年に亀石ケ原(泉町滝尻)に勧請したことに始まる泉藩の祈願社。
天文年間(1532~1555年)の大津波により滝尻上ノ山に遷座し、延宝2(1677)年に現在の地へ。
泉藩主歴代の内藤・板倉・本多三家の氏神として尊崇される。
明治6(1873)年、明治維新後に郷社に列格する。
徒歩約20分(約1,200m)
8

剣浜の遭難供養碑

磐城沖を襲った高波
  • 剣浜の遭難供養碑
元禄9(1696)年、磐城沖を襲った高波で漁師、船員が遭難し、多くの犠牲者が出た。
この供養碑は小名浜の大剣に供養のため建立された。
昭和40年代に、工業団地建設にあたり、大剣の人々がこの地に移動した際に、この碑も移動された。
徒歩約30分(約2,000m)
9

泉村道路元標

泉村の起点
  • 泉村道路元標
道路元標は、道路の起点・終点、または経過地を表記する標識で、各市町村に1個置かれていた。
記されている泉村は、明治22(1889)年4月1日、町村制施行に伴い、菊多郡泉村・玉露村・本谷村・滝尻村・下川村・黒須野村が合併し成立している。
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