▼旧石器〜弥生時代  
いわき地方には、古くから私たちの遠い祖先にあたる人々が住み、温暖な気候と豊かな自然に支えられ、狩猟や漁撈などにより生活を営んでいました。このことは、市内に残る旧石器時代から弥生時代にかけての数多くの遺跡からわかります。
▼古墳時代  
三世紀後半から土を高く盛り上げた大きな墳基が作られるようになりましたが、市内にも全長118mにも及ぶ玉山古墳や国の史跡に指定されている甲塚古墳など多くの古墳が残されています。また、六世紀末に築造されたとみられる中田横穴(国史跡)は、後室の周壁に描かれた白と朱の三角紋で有名です。
▼飛鳥〜平安時代  
七世紀に入り当地方も中央の支配体制に組み込まれるようになりました。「常陸国風土記」によれば653(白雉四)年には「岩城評」が置かれたとされています。やがて718(養老二)年には陸奥国の五群と常陸国の一部を併せ「岩城国」が置かれましたが、この国は程なく陸奥国に併合されてしまいます。
当時の支配体制は、中央から派遣された国司のもとに、地方の豪族が郡司に任ぜられ政を行いました。いわき地方では夏井川流域を中心とする磐城郡の役所が根岸遺跡(平-下大越)一帯に、鮫川流域を中心とする菊田郡の役所が郡遺跡(勿来町窪田)一帯にあったものと考えられています。
十一世紀になると各地に大規模な私有地がみられるようになります。これが荘園ですが、当地方には、北部に好嶋荘、南部に菊田荘が成立します。やがて平安時代の末期に末法思想が普及しその影響の下、内郷白水町にある浄土式庭園を伴う白水阿弥陀堂が作られました。
▼鎌倉〜江戸時代  
鎌倉時代に入ると、岩城氏が荘園の支配を通じて勢力を増し、南北朝時代の混乱期を経て室町時代には大館に城を構え、上遠野氏、岩崎氏、白土氏などの豪族を支配、最盛期にはいわき地方だけではなく、北関東までをも支配する戦国大名に成長していきました。
関ヶ原の戦いで徳川側に付かなかった岩城氏は領地を没収され、代わって鳥居氏が居城を物見ケ岡に構えて以後、磐城平藩は内藤、井上、安藤の各氏に受け継がれる一方、当地方は磐城平藩のほか泉藩、湯長谷藩、窪田藩、棚倉藩、笠間藩そして幕府領などが複雑に配置されることになりました。
▼明治  
明治維新を経て、明治四年(1871)に「廃藩置県」が実施され、また二十二年(1889)の「市制・町村制」の実施により当地方はほぼ現在のような枠組みが固まりました。
▼昭和  
昭和三十年代に入り、当地方の経済発展を支えてきた石炭産業がエネルギー革命に伴い衰退し始めたことによる地域産業の停滞を救済するとともに、地方への開発拠点の設置(地方での工業促進)を進めることを主眼に、当地方は「新産業都市」とされこれを契機に当地方の五市四町五村が合併しました。昭和41年10月1日、「いわき市」の誕生です。  
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